「戦争状態で制限があったのは理解しないと」岸田総理ウクライナ入り 極秘訪問の裏側(2023年3月21日)
岸田総理は、外遊先のインドから極秘にウクライナ入りしました。これでG7の首脳は全員、キーウを訪れたことになります。
日本時間21日午後7時過ぎ、キーウの駅に降立つ岸田総理の姿がありました。
アメリカ・エマニュエル駐日大使:「きょうのニュースは、大きく異なる二つの欧州と太平洋の協力関係を報じています。岸田総理は、ウクライナに歴史的な訪問を果たしています。約900キロ離れたモスクワでは、色合いが大きく異なる非道な協力関係が生まれています」
岸田総理は、到着後、すぐに向かったのは、虐殺のあったブチャでした。ブチャにある教会で献花し、犠牲者らを追悼しました。
岸田総理:「ブチャの地に足を運ばせていただきまして、こうした残虐な行為に対して、強い憤りを感じます。日本は、これからもウクライナの平和を取り戻すために、最大限の支援を行っていきたいと思います」
この後、ゼレンスキー大統領と会談を行います。ただ、その場に同行記者団はいません。
外遊出発直前、キーウに入るのではという憶測はすでにありました。問われた総理は、こう答えていました。
岸田総理:「何を根拠に言っておられるかわかりません」
半信半疑な部分も多く、同じホテルにいた30人ほどの記者たちが、その動向を注視していました。しかし、結果はまかれることになります。また、知らされていなかったのは、メディアだけではありません。
岸田総理が、すでにキーウに向かっているとわかった直後の外務省の説明です。
外務省担当者:「私も何が起きているのかよくわからないというのが率直なところ。(Q.総理がいるのかいないのか、それはすぐわかるはず)確認中です。(Q.所在もわからないというのは困る)お立場もよくわかります」
総理のキーウ訪問には、3つの壁があるといわれていましたが、秘密保持は、上手く行ったようです。警備についても、アメリカから知恵を借りながら、クリアしたとされています。また、国会に対しては、事前の説明が慣例でしたが、党幹部などには、直前に連絡する形をとりました。今のところ、大きな批判の声は上がっていません。
自民党・森山裕選対委員長:「『まもなくウクライナに入ります。こういう状況での訪問だから、事前に連絡できませんでした』と。ちょうど福島に向かう新幹線の中で(総理から)電話をいただきました。戦争状態ですので、色んな制限があったのは、理解しなければならない」
◆岸田総理が訪問中のウクライナの首都・キーウにいる醍醐穣記者に聞きます。
(Q.現在の様子はどうでしょうか)
岸田総理は、20分ほど前にこちらを訪れました。こちらは、キーウ中心部にある修道院ですが、壁には2014年以降にロシアとの闘いで亡くなった兵士の写真が掲げられています。『日本国総理大臣、岸田文雄』と書かれた花輪を手向けました。その際、1分ほど、かなり長い時間、追悼の祈りを捧げている姿がみられました。
この場所の裏には、ウクライナの外務省があり、高官に取材をしたところ「中露首脳会談が行われているこの日に岸田総理がウクライナを訪問するというのは、非常に意義がある」と強調していました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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