【東京大空襲78年】6歳の「戦争体験」語り継ぐ女性“継承”デジタル化で(2023年3月13日)

【東京大空襲78年】6歳の「戦争体験」語り継ぐ女性“継承”デジタル化で(2023年3月13日)

【東京大空襲78年】6歳の「戦争体験」語り継ぐ女性“継承”デジタル化で(2023年3月13日)

 78年前の3月10日はアメリカ軍による「東京大空襲」が行われた日です。あの日、誕生日を迎えた6歳の少女は、あるきっかけから語り部として体験を伝えることを決心しました。

 西尾静子さん(84):「助かろうと思って飛び込んだら、こっち側から火の手がバーッと。向こうからも火の手が来るから、飛び込んだ人の頭の上を火が交差するわけ。それで皆、亡くなってしまったんですね」

 西尾さんは6歳の時に当時、住んでいた東京・江東区で東京大空襲を体験しました。自身の経験を後世に伝える「語り部」を続けています。

 西尾静子さん:「(防空壕の)ドアの前には数時間前まで『ドアを開けろ』『中へ入れて下さい』と言っていた人たち皆、焼け死んでしまって、真っ黒焦げの丸太のようになってドアの前に積まれるように死んでしまったんですね」

 1945年3月10日に起きた東京大空襲はアメリカ軍の爆撃により、一晩で10万人が犠牲になったとされています。西尾さんは母親とともに防空壕(ぼうくうごう)に逃げ込み、何とか命は助かったものの、一夜明けて防空壕を出ると、いたる所に遺体があったといいます。

 西尾静子さん:「外へ出て逃げる間に見た惨事が完全に私の心を壊しました。私は小学校に入れてもらったんですけど、なるべく思い出さないようにしようと」

 西尾さんの話を聞いた中学生は…。

 生徒:「(戦争は)絶対に起こってはいけないことだと思ったし、今回聞いたことを他の小さい子にも知ってもらわなければならないので、ちゃんと伝えられたらいいと思いました」

 戦後、国立感染症研究所で研究者として働いてきた西尾さん。しばらくは空襲のトラウマから、自身の体験を周囲に話すことができなかったと言います。

 西尾静子さん:「私が退官の時にあいさつを頼まれて、科学的なことを言っても日進月歩だからどうしようと思った時に空襲の話をしようと。それを聞いていた若い男性の科学者たち、研究者たちが泣いてらっしゃるんですよ。この年代から何も知らないんだなと思って、これは伝えなければならないと」

 戦争の悲惨さを語り継いできた西尾さんでしたが、ロシアによるウクライナ侵攻を見てショックを受けたといいます。

 西尾静子さん:「(テレビを見て)6歳ぐらいの女の子でしょうか。地下の防空壕でしゃがんで震えながら泣いているのを見て、私は(戦争が)また起きてしまったのかと。戦争が起きたら、それっきりになっちゃうのだろうぐらいな気持ちになって1週間、私は話すことをやめたんですね」

 大空襲から78年となる今月10日、東京・墨田区の東京都慰霊堂で慰霊の法要が行われました。

 西尾静子さん:「(月日が経つのは)早いですね。だんだん皆さんね(戦争の記憶が)薄れてきているので、私たちみたいな体験者はほぼいなくなるじゃないですか、あと2、3年で」

 当時の貴重な証言を後世にどう残していくのか、東京都は去年、戦争の記憶を風化させないよう体験者の証言映像をデジタル化して保存・公開することを決め、今回はそのうち113人分が公開されることになりました。西尾さんをはじめとした語り部たちの思いが実った形です。

 西尾静子さん:「(Q.継承はどうして大事?)人々は(戦争の)知識を知らない、知ることができなくなったり忘れたりしたら、もうまた繰り返されますよね。戦争って紙一重だと思うんですよ。(継承を大事にする)そういう気持ちを強く持っています」「(Q.戦争を知らない若い世代に対して)継承して下さいの一言ですね。忘れないように伝えていって下さいという気持ちで。いつ駄目になるか分からないけど、生きている限りやりたいと思います」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

ANNnewsCHカテゴリの最新記事