“ゼロからつくった街”観光客が100万人 移住者も…岩手・陸前高田とそば店主の12年(2023年3月11日)

“ゼロからつくった街”観光客が100万人 移住者も…岩手・陸前高田とそば店主の12年(2023年3月11日)

“ゼロからつくった街”観光客が100万人 移住者も…岩手・陸前高田とそば店主の12年(2023年3月11日)

奇跡の一本松が出迎えるのは、大人気の「道の駅」。その横には、震災の記憶を伝える「東日本大震災津波伝承館」があります。

この場所だから体験できることを求めて、多くの外国人観光客もやってきます。

岩手・陸前高田は、津波で市街地が消滅。1800人近くが犠牲になりました。

この場所をかさ上げし、ゼロから街をつくることに…。この12年間の人々の苦労と思い、そして街の完成に合わせて、観光客や移住者を呼び込む戦略を追跡ました。

■津波で…“店”と“店主”失った「そば店」

津波で店と店主だった父を失った及川雄一さん。陸前高田を代表するそば店だった「やぶ屋」。父親の跡を継ぎ、店を再建することを決意。一から修業を続けていました。

母・従子さん:「しょっぱいか…こんなもんか…」

及川雄一さん:「正直に言っていいよ」

従子さん:「私のあれ(舌)が、悪いのかもしれないから」

どうしても、亡き父の味には近付けません。

従業員:「(Q.だしの感じは?)前は、もうちょっと強いような気がした。だしの味が」

市街地が消滅し、1800人近くが犠牲になった陸前高田市。津波で流された場所をかさ上げし、商店街、公共施設、住宅などを配置する新たな街づくりの計画が立てられました。

切り出される、大量の土砂。東北の被災地、最大のプロジェクトが号砲を上げました。

長い修行を経て、及川さんは営業を再開。街ができるまでの間、仮設の店舗でしのぐことに…。

客:「うん、うめー」「変わらないね、味は」

陸前高田のそばが帰ってきました。

従子さん:「開店を見せてあげないと。これだけできるようになったと思えば、お父さんも喜んでいると思います」

妻と小さな2人の子ども。避難所から仮設住宅と、家族4人、身を寄せ合い暮らしてきました。

しかし、大きな問題が立ちはだかります。

■“難題次々”救いの手…ゼロからの街づくり

新たな街に出店する資金補助を受けるつもりが、被災したそば店が借家だったという理由で、「対象外」とされてしまったのです。

解決策を見出せない日々に心労が重なり、店も休みがちになります。

自宅も被災した及川さん。新たにローンを組めば、高台に建設する自宅と二重の支払いがのしかかります。

及川雄一さん:「今パパが決めたことで、お前たちが20年後苦労するかもしれないんだよ」

娘・小春さん:「うん。しそうだね」

及川雄一さん:「他の仕事じゃ、ダメなの?『やぶ屋』じゃなきゃダメなの?」

小春さん:「じいちゃんも、ひいじいちゃんもやってた」

及川雄一さん:「続いてきたからなあ」

かさ上げと並行して、街づくりに向けた工事は加速。BRT(バス高速輸送システム)や、路線バスが乗り入れる交通広場も完成。市街地を貫く幹線道路や橋も開通しました。

補助金を受けられず、再建を断念しかけていた及川さん。そこに、仲間たちが救いの手を差し伸べました。

及川さんの負担を減らそうと、5つの事業者が手を組み、一体となって店を構える「商店街型」として、補助金を申請することにしたのです。

製菓店店主 菅野秀一郎さん:「何とかする方法を考えなきゃと、及川さん一人に任せるのではなくて。自分だけが成功すればいいっていう街づくりじゃない」

その結果、「中心的な商業機能を果たす」という要件が認められ、施設や設備にかかる費用の4分の3の補助が受けられることに。

及川雄一さん:「新しい街の本当に中心で商売させてもらえるのは光栄だと思って。心強い仲間と一緒に、これから頑張っていきたい」

もう一度、この地に自分たちの街を…。長い季節を越え、数々の困難を乗り越え今、店が、人々の活気が、戻ってきました。

■追跡…観光客・移住者呼ぶ様々な“仕掛け”

新たな街づくりと並行して力を入れたのが、観光客を呼び込む仕掛けです。

「奇跡の一本松」と同じエリアに、「道の駅」をオープン。豊かな水産物や農産物、そして三陸地方の特産品を味わい、触れることができると大評判になっています。

地元産のカキやイクラなどをふんだんに使った「たかた丼」や、あの一本松の形をした天丼まで。グルメも大充実です。

「道の駅」に併設するのは、震災の記憶を伝える「東日本大震災 津波伝承館」。

この場所だから体験できる、数々のこと。最近は、評判を聞き付けた海外からの観光客も増えています。

ドイツ人観光客:「あのようなことがあっても、人々が戻って生活していることに感動しました」

去年の観光客は震災後初めて、100万人を突破しました。

移住者を呼び込む動きも加速。農・漁業体験ができる2泊3日の移住体験プログラムを実施するなど、新たな街の魅力を発信しています。

取材の10日前、京都から移住してきた石田さん一家。

夫・祐太さん(37):「『あ、ここだ』と思ったのが、一番の移住のきっかけ」

妻・裕夏さん(35):「こんなに近くに山も海もあってという環境で、子育てできるなんてなかなかない」

来月から移住者をサポートする仕事に就くという裕夏さん。この日も、東京からやってきた相談者がいました。

NPO法人高田暮舎 移住コンシェルジュ 多勢瞳さん:「合計で現時点までで79人が移住してきた。街として人が1人来てくれると、新しい取り組みが生まれたり、盛り上がったりするので、人をもっと増やしていけたら」

■いつか必ず力に…10年間修業して“Uターン”

街を一望できる丘で、新たな挑戦に励む29歳の男性がいました。

Uターンした及川恭平さん(29):「今ここで、ブドウを植えていて。このブドウを使って、ワインを作ろうと」

及川恭平さんは、高校卒業まで陸前高田市で暮らしていました。

及川恭平さん:「17歳の時に震災があって。当時まだ高校生で、何も力になることができなかった。10年間は街のハード部分の整備を整えていく、その10年先はどうしていくのだろうと考えた時に、ソフト面の復興を担うものとして、10年後に(故郷に)帰ってこようと決めて、10年間修業してUターンしてきた」

いつか必ず、力になりたい。その思いを胸に大学ではバイオサイエンスを学び、ワインの商社に就職しました。

その後、本場フランス、イタリア、スイス、アメリカのカリフォルニアなど、世界のワイナリーで修業を積みました。

そして、ふるさとへ…。

及川恭平さん:「自分のワイナリーを通して、もっと街に色々な人が来てもらえるような形にできればなと。色んな人への恩返し、人のかかわりがあっての自分の今の存在。これから先の街づくりを担うものとして、頑張っていければなと」

ゼロからつくった街、第2章へ。バトンはつながれました。

■「帰ってきてもいいかな」という街になってほしい

周囲の協力で、何とか新たな街に戻って来ることができた及川雄一さんのそば店も、連日の行列が。新旧、多くのファンに囲まれています。

及川雄一さん:「私が子どもの頃は、すごくにぎわっていた。ああいう高田になればいいなと。もっと広い範囲で、色んな店ができて。人もいっぱい集まって。子どもたちも『帰ってきてもいいかな』という街になってほしい」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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