台湾 言論弾圧と虐殺のきっかけ「二二八事件」から76年 受難者が今望むこととは|TBS NEWS DIG
かつて、政府主導で40年以上市民への弾圧が行われた台湾。きっかけとなったのが、76年前のきょう起きた「二二八事件」です。当時、何が起きていたのか。政治犯にでっち上げられた男性を取材しました。
76年前のきょう、台湾では大勢の市民が政府によって命を奪われました。
台湾 蔡英文 総統
「二二八事件は教科書だけの出来事ではありません。実際に起こった事件なのです」
「二二八事件」
1947年、台北市内の路上でたばこを販売していた女性が政府の役人から暴行を受け、大規模な抗議活動に発展。汚職がまん延する国民党政府への不満を背景に抗議活動は各地に拡大しますが、軍が投入され、鎮圧されました。1万8000人から2万8000人の市民が弾圧の犠牲になったとされます。
蔡焜霖さん
「汽車の駅も処刑する場所に使われてしまっていた」
日本の統治時代に生まれ育った蔡焜霖さん(92)。事件当時は家族で避難し、無事でした。
事件の後、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に拠点を移した国民党は政治基盤強化のため「戒厳令」を敷き、さらに市民への弾圧を強めます。この頃、高校生だった蔡さんは、有島武郎などを愛読する文学青年でした。
これは去年、日本でも出版された蔡さんの半生を描いた漫画。高校時代に何気なく参加した「読書会」が「反政府的な集会」と見なされ、卒業後、逮捕されてしまいます。
蔡焜霖さん
「(取り調べで)先生の名前や学友の名前を挙げられないでいた。足の親指に電線結び付けて電撃されたんです。あれがとても怖かった」
台湾東部・台東県の東沖、およそ30キロの地点にある小さな島「緑島」。
今は観光地として人気のこの島に、蔡さんら政治犯とされた人たちの身柄が移されました。
記者
「こちらは1972年からおよそ15年間、実際に政治犯らを収容していた建物だといいます」
建物や壁に記されたスローガン。政治犯とされた人たちに洗脳や強制労働を科していました。中で新聞を読むことは許されたようですが、記事の一部は切り抜かれていました。
国家人権博物館の担当者
「台湾の一般的なニュースだけです。暴動などは見せずに、都合の良い内容だけを見せていました」
蔡さんが収容された1951年当時の部屋も再現され、公開されています。
国家人権博物館の担当者
「現在、ここには56体しか人形はありませんが、実際には3倍の人数が押し込まれてました」
当時、政治犯とされた人たちは知識層が多かったため、蔡さんは10年拘禁されたものの、洗脳は効果がなかったと感じています。
蔡焜霖さん
「すごい先輩と一緒に10年も一緒にいられることは、その後の私の思想形成や、人格を形成する一番起点になったのではないか」
中国の軍事的圧力が増す中、民主主義を守ろうと“暗い歴史”が注目されていますが、加害者の責任追及が進まないことに「政治的パフォーマンス」との指摘もあがっています。
貴重な時間を奪われた蔡さんが今、伝えたいこととは…
蔡焜霖さん
「歴史をまちまちにするのではなく真相をはっきりさせ、自由・民主の基礎を確定し、再び悲劇を発生させるべきではない」
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