最前線の村に残る人も…占領された故郷 ロシア“大攻勢”に直面する市民(2023年2月23日)

最前線の村に残る人も…占領された故郷 ロシア“大攻勢”に直面する市民(2023年2月23日)

最前線の村に残る人も…占領された故郷 ロシア“大攻勢”に直面する市民(2023年2月23日)

24日で、ロシア軍によるウクライナ侵攻から1年となります。

現在は東部で、ロシア軍の大規模攻勢が続いていて、多くの人たちが首都キーウなどに避難を始めています。

ウクライナ東部ドネツク州にある小さな村。ロシア軍がすぐ5キロ先まで迫っています。

警察が今も村に残る22人に避難を促してまわりますが、応じる人はなかなかいません。

地元住民:「私はここで生まれ育ち、学校に通い、ここで結婚し、子どももいます。一生かけた生活の基盤です。70歳になって離れられるわけがない」

生まれ育った故郷に残るか、命を守るために離れるか。この1年、ウクライナの人々が幾度も決断を強いられてきたことです。

東部地域から避難する人は目に見えて増えてきています。

避難するとともに、戦場で行方が分からなくなった子どもをようやく見つけたという人もいました。

ハルキウから避難したエフィモバさん:「子どもは双子の26歳で、2人とも義勇兵です。次男はバフムトで大けがをして、片目を失いました。彼を長い間、捜しても見つからなかったんですが、ボランティアが彼を見つけてくれたんです」

ロシアの支配地域から逃れてきた家族の証言。人々の尊厳は踏みにじられていました。

去年9月、南部ヘルソン州から子ども4人と避難してきた、バレンティナさん(44)。夫は現地に残って自宅を守っているといいます。

バレンティナさん:「家を取り上げられる可能性もあります。避難した人の家には“ロシア連邦”という札をかけられます」

バレンティナさんが暮らしていたヘルソンの村ドリンスケ。ロシアが一方的に併合したクリミア半島からロシア軍がなだれ込み、侵攻開始翌日に占領されました。

ロシア兵が跋扈(ばっこ)し、日常が奪われました。それでも、バレンティナさんは、生まれ育った村を離れようとは思わなかったといいます。

しかし、半年ほど経ち、状況が一変。ヘルソンをロシア領土に編入するための住民投票が持ち上がりました。

バレンティナさん:「去年9月1日に、子どもたちが学校へ行った日に、ロシア人に“選別”されました。私たちにロシア人になることを要求してきました。『ウクライナの国や言葉は存在しない』と。(Q.学校ではロシア語が使われていた?)はい、そうです。全ての学校で。ロシアのパスポートを受け入れないと、お金をもらえません。他の人を批判したくはないですが、食料をずっと与えられなかったため(ロシアのパスポートを)受け入れた人もいます」

ロシアの支配地域で行われた“選別”。言語や経歴、思想などで住民をふるいにかけ、好ましくないと判定されれば、ロシアへ強制的に送られたとみられます。

子どもたちをロシアにとられる…。バレンティナさんは、脱出を決意しました。

その手助けをしてくれた親族は、今もヘルソンに残っています。

その人に電話をかけてもらうと…。

親族:「(Q.そちらは大丈夫?)うん。大丈夫。(Q.大変なら子ども連れて逃げてきて)すべて順調だよ。(Q.家族だけでもこっちに避難させたら?)信じて。問題ないから。(Q.ロシア兵はたくさんいる?)それは話せない」

「全て順調だ」「問題ない」という言葉を繰り返しました。

バレンティナさん:「答えられない状況だと思います。盗聴されているからです。彼の子どもたちについて、脅かされた可能性もあります」
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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