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生きていたタロとジロ。カラフト犬置き去りの悲劇から生まれた南極観測の“奇跡”【映像記録 news archive】
天皇皇后両陛下、今の上皇さま上皇后さまが車から降りてこられました。
1997年9月に「ふしぎ大陸 南極展」を視察された時の様子です。
お二人は、日本初の南極観測隊で犬ぞり隊として活躍したカラフト犬のはく製に足を止められました。第2次観測隊が越冬を断念し、撤収する時に置き去りにされた15匹のうち、その後の1年間を生き抜いたタロ、ジロのはく製です。
全身黒く長い毛でおおわれ、体重は30キロを超えます。2匹は兄弟で、足の先が白いのがジロです。
2匹が生きていたことは大きなニュースになり、南極観測の歴史の中でも最も知られたエピソードになりました。
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1959年1月、第3次観測隊が南極に到着したとき、そこに2匹のカラフト犬が現れました。
それがタロとジロです。
1957年2月、第1次観測隊に連れられて南極にわたったのは、カラフト犬22匹、オスの三毛猫1匹、そしてカナリア2羽でした。
うち、タロ・ジロらカラフト犬19匹、猫とカナリアが越冬します。
しかし、次の第2次観測隊は、砕氷船「宗谷」が氷に阻まれて動けなくなり、越冬を断念。
1958年2月にカラフト犬15匹が鎖につながれたまま置き去りにされました。
翌1959年1月14日、第3次観測隊が昭和基地を訪れると、13匹は死んだり行方がわからなくなったりしていましたが、若いタロ、ジロの2匹が生きているのを発見、日本中がわきました。
タロ・ジロはその後も南極にとどまり、後からやって来たほかの犬たちとともに、そりを引く犬としてよりはペットとして、歴代の観測隊員たちの心を癒します。
3次隊では5匹、4次隊では17匹の犬が、南極で暮らしました。
ジロは1960年7月に南極で病死。4歳6か月でした。
そして、タロは1961年5月に日本に帰ってきます。
当時、南極観測隊の帰還といえば一大イベントでした。大勢の人びとが大歓迎で出迎える中にも観測隊員は真面目な顔で故郷の土を踏みます。
報道カメラに出迎えられ囲まれた、タロ。
帰国後のタロは、北海道大学の植物園で暮らして、1961年5月に、昭和天皇・香淳皇后両陛下と対面します。
1963年5月には、「宗谷」の乗組員とも再会します。
カラフト犬は1962年の第6次隊が昭和基地をいったん閉鎖するまで南極観測に用いられますが、その後南極観測が再開されても純粋のカラフト犬が同行することはありませんでした。
タロはその後も北大で暮らし、1970年8月に、老衰でこの世を去りました。14歳7か月。人間でいえば90歳の大往生でした。
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ふたたび1997年。
お二人の結婚が正式に決まったのは1958年11月27日、そして一般の結納に当たる「納采の儀」が行われたのが翌1959年の1月14日でした。
そう、タロとジロの生存が確認された日です。両陛下とタロ・ジロの不思議な縁です。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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