1971年 賑わう「外苑」プールとアンツーカーの「国立」【東京ヘリ撮50年】(2022年9月2日)

1971年 賑わう「外苑」プールとアンツーカーの「国立」【東京ヘリ撮50年】(2022年9月2日)

1971年 賑わう「外苑」プールとアンツーカーの「国立」【東京ヘリ撮50年】(2022年9月2日)

1971年、昭和46年8月の明治神宮外苑です。

国鉄千駄ケ谷駅ホームの右は新宿御苑の緑、左側は東京体育館と、津田スクールオヴビズネス、それに津田英語会です。
新しい五千円札の顔、津田梅子が設立した津田塾大学の同窓会が経営していました。
今は津田塾大学のキャンパスです。

ヘリコプターはここで旋回します。
当時、東京体育館は東京都体育館と呼ばれることもありましたが、体育館と屋内プール、陸上競技場があります。
屋内プールに寄っていきます。

1964年の東京オリンピックでは、水球の競技会場になりました。
陸上競技場は、となりの国立競技場のサブトラックとして、選手たちのウォーミングアップや練習に使われました。
といっても、写っているのはオリンピック後に改修され拡張されたトラックです。
オリンピックのサブトラックだったからでしょうか、国立競技場へ直接行ける連絡橋が見えます。

屋外プールは子供たちでいっぱいです。浮き輪もOKなんですね。
ちなみに東京体育館の英語名は今もトウキョウ・メトロポリタン・ジムネイジアムです。
陸上競技場は拡張されたといっても、余裕のないことに変わりはなく、走幅跳びなどはトラックの内側で行うようになっています。

奥に明治公園、さらに都営霞ケ丘アパートです。
2度の東京オリンピックに翻弄された歴史を持ちます。

正式名称、国立霞ケ丘競技場陸上競技場です。
その向こうは、正式名称、聖徳記念絵画館です。
国立競技場は、このときはまだアンツーカーでしたが、4年後に全天候トラックに改修されます。

神宮プールも見えてきました。
隣りの木立の中に見える「ちゃんぽんの店 水明亭」は、二度目のオリンピックを前に閉店しました。

首都高速と国鉄線路を渡る橋も見えます。今は歩行者専用です。
屋外プールに寄っていきます。
競泳もできるプールですが、みんな横に泳いでいます。見るかぎり浮き輪の人もいないようです。
それが決まり事だったんですね。

正式名称、明治神宮水泳場は、1931年、昭和6年にまずこちらの屋外プールができました。
その隣りの誰も泳いでいないプールは、飛び込み用です。

プール手前の道路を逆走していく車がいます。
ほかには車が走っていません。何かあったのでしょうか。
プールサイドでは、大勢の人が甲羅干ししています。
かつてはこちら側にもスタンドがありました。

あとからできた屋内プールです。
開閉式の屋根を持つ家族プールです。
浮き輪はもちろん、ビニールボートもたくさん見えます。
こちらは冬にはアイススケート場になります。
というか、23年後の1994年からは、アイススケート専用になります。

首都高速がすぐ下を走ります。
そして国鉄線路。
水明亭、首都高速出入口、絵画館、軟式野球場が見えてきました。

=======

今年、2022年6月の国立競技場上空です。
画面上の部分にあった、明治公園と霞ケ丘アパートは取り壊され、新しい国立競技場に取り込まれました。

右側の東京体育館も1990年に建て替え、2013年にも全面改修されました。
体育館・アリーナと屋内プール、屋外のグラウンドというのは変わりませんが、陸上トラックが小さくなりました。

そして手前の神宮プールは、屋内プールがアイススケート場に変わったばかりでなく、屋外プールは隣りの水明亭があった部分も含め、2019年に13階建てのホテルに生まれ変わりました。

一方で、神宮外苑の木々も50年前に比べ成長し、緑が濃くなっているのがわかります。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

ANNnewsCHカテゴリの最新記事