「やっとスタートライン」暴徒に襲われ…警察官が死亡“渋谷暴動”から51年で初公判(2022年10月25日)
1971年11月、東京・渋谷で過激派による暴動が起きました。
過激派は、路上に作ったバリケードに火を放つなどし、警察と衝突。そのなかで、新潟県警から応援で上京し、
機動隊員として警備活動中だった警察官・中村恒雄さんが暴徒に襲われ、21歳という若さでなくなりました。
25日、その警察官に対する殺人罪などに問われた活動家の公判が初めて開かれました。
半世紀前は、学園闘争や街頭闘争など、一部の若者らが過激な抗議運動をしていた時代でした。
そんななか、事件を起こしたのは、警察庁が極左暴力集団としている過激派組織『中核派』。
沖縄返還協定の批准阻止のため、都内各地で暴動を起こし、そのなかで、中村さんの命が失われました。
その暴動に参加していたとされる、中核派の活動家・大坂正明被告。他者と共謀し、鉄パイプなどで中村さんを何度も殴打。さらに火炎瓶を多数投げつけ、炎上させて殺害したとされています。
事件後、約46年間の潜伏の末に、2017年、広島市内の中核派アジトで大坂被告は発見され、逮捕されます。
初公判が開かれた25日、裁判所周辺には、大阪被告の無実を主張する支援団体が集まり、シュプレヒコールを上げました。
殺人や現住建造物等放火などの罪に問われている大坂被告。支援者も傍聴するなか、意見陳述でこう述べました。
大阪被告:「すべての容疑について、その事実はありません。したがって無実であり、無罪です」
検察側は、大阪被告が中村さんを取り囲み「殺せ、殺せ」と言いながら殴りつけ、火炎瓶を投げたなどと主張しました。
それに対し、弁護側は、検察の主張は、取調官による強要などによって作成されたデモ参加者の供述をもとにしており、信ぴょう性がないと主張。さらに、物的証拠がなく、客観的な証拠がないとも主張しています。
ようやく始まった裁判。特別な思いで迎えた人が、中村さんのふるさとにいました。
中村さんと新潟県警で同期・中野隆さん(71):「本当に正直に当時の模様を素直に話してもらいたい。そして、罪を償ってもらいたい。罪を償っても中村が帰ってくるわけではないけど、今はそれしかないので、それだけはやってもらいたい。やっとスタートラインに立ったかな。そんな思いで51年だから半世紀」
現場の慰霊碑には、若くして東京で亡くなった中村さんを悼んだ句が刻まれています。
「星一つ 落ちて都の 寒椿」
「星一つ」とは、駆け出しの警察官として、巡査という階級だった中村さんのことです。
この裁判では、来年3月までに20回以上の審理が予定されています。
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