ウクライナ侵攻「和平交渉を」“冷戦終結の立役者”ゴルバチョフ元大統領(91)死去(2022年8月31日)

ウクライナ侵攻「和平交渉を」“冷戦終結の立役者”ゴルバチョフ元大統領(91)死去(2022年8月31日)

ウクライナ侵攻「和平交渉を」“冷戦終結の立役者”ゴルバチョフ元大統領(91)死去(2022年8月31日)

ソ連最後の指導者、ゴルバチョフ氏が亡くなりました。冷戦を終結に導いた立役者として西側諸国から評価される一方、ロシア国内では、ソ連を崩壊させたとして非難された人物です。ウクライナ侵攻に対しては、一刻も早い停戦を訴えていました。

「ゴルビー」の愛称で親しまれ、来日したこともあります。愛嬌あふれる姿が印象的ですが、紛れもなく、世界の歴史を変えた人物です。

1985年、ソ連共産党の書記長に就任したゴルバチョフ氏。その代名詞と言えるのが『ペレストロイカ』一党独裁で硬直した政治体制の改革です。ソ連に自由を取り入れようとしました。対外的には西側との対立緩和を目指し、アメリカと核軍縮を進めます。

ソ連、ゴルバチョフ書記長(当時):「ソ連と米国の中距離・短距離ミサイルを完全に撤去するための条約は、戦争のない世界を求める人類にとって、歴史的な日になると確信している」

人々が自由を求める流れは重なり、ドイツではベルリンの壁が崩壊。そして、アメリカのブッシュ大統領とともに東西冷戦の終結を宣言しました。

ソ連、ゴルバチョフ書記長(当時):「アメリカに対して“熱い戦争”を仕掛けることはない。世界は冷戦の時代から新しい時代に入った。まだ始まったばかりだが、長い平和の時代に入った」

冷戦を終わらせた立役者としてノーベル平和賞を受賞。国際的な評価は高いままです。

アメリカ、バイデン大統領:「“異なる未来は可能”だと見抜く想像力と、それを実現するために自らの政治生命を賭す勇気を持つ、まれな指導者だった」

イギリス、ジョンソン首相:「ゴルバチョフ氏は間違いなく世界を良い方向に変えました旧ソ連諸国を解放し欧州を丸ごと自由にしたのは驚きです」

しかし、自身が動かした歴史の歯車は思わぬ方向へ。ソ連初の大統領に就任したのも束の間でした。自らが掲げた民主化という理想は、国内に独立を求める機運を生み、国家分裂へとつながっていき、アメリカと競争を繰り広げた超大国、ソ連は崩壊しました。

ソ連、ゴルバチョフ大統領(当時):「“国の分裂”が優勢になった状況を受け入れることはできない。いくつかの誤りは避け、より良いことができたはずだ。遅かれ早かれ、我々の共通の努力は成果をもたらすだろう。我々すべての民族が繁栄し、民主的な社会に暮らせるだろう」

ソ連崩壊がロシアの人々にもたらしたのは、混乱と経済の困窮でした。冷戦終結を導いた指導者という国外での評価とは裏腹に、国内では“戦犯”扱いです。

モスクワ市民:「ソ連を良い方向に変えてくれると信じていました。しかし結局、ソ連を崩壊させ、大国を滅ぼし、数々の戦争や旧ソ連諸国間の不和を招いた人でした」

モスクワ市民:「解決しなくてはならない多くの損害を国に与えました」

モスクワ市民:「ソ連を崩壊させた人物。それだけです」

国営ロシア通信のコラム:「古の賢人曰く、地獄への道は善意で塗り固められている。ゴルバチョフ氏は、国家指導者の考えが国に地獄をもたらすという実例になり得ることを示している」

ロシアが混迷を極めた90年代が終わるとともに登場したのがプーチン大統領でした。2000年代、経済は急成長した一方で「強いロシア」を掲げるプーチン氏は、強権的な体制を強めていきます。

その悲劇的な結果がウクライナへの侵略です。ゴルバチョフ氏が推し進めようとした自由・民主化・西側との融和は、今ではなきものとなっています。

ゴルバチョフ財団の声明:「直ちに敵対行為を停止し、和平交渉を即時開始する必要があることを宣言する。人の命ほど尊いものは、この世に存在しない」

プーチン大統領が20世紀最大の地政学的悲劇と呼んだソ連の崩壊。

ゴルバチョフ氏(2011年):「(Q.ソ連崩壊に責任を感じるか)それはありません。私はソ連を守るために最善を尽くしたが失敗しました」

今年、入院中のゴルバチョフ氏を見舞ったロシア人経済学者はこう語ったといいます。

ロシア人経済学者:「ゴルバチョフ氏は我々に自由を与えてくれた。ただ、その自由をどうしたら良いのか、我々には理解できなかった」 (C) CABLE NEWS NETWORK 2022
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>

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