さようならマルビル 老朽化で建て替えへ、全テナントの営業終了 人々の記憶と開業47年の歩み

さようならマルビル 老朽化で建て替えへ、全テナントの営業終了 人々の記憶と開業47年の歩み

さようならマルビル 老朽化で建て替えへ、全テナントの営業終了 人々の記憶と開業47年の歩み

 大阪・梅田のランドマークとして親しまれた「マルビル」の建て替えが決まり、31日でテナントの営業が全て終わります。開業47年の歩みと人々の記憶を追いました。

 大阪の中心部にたたずむ独特な丸いデザインの大阪マルビル。ホテルや飲食店でにぎわい、待ち合わせ場所としても利用された大阪のランドマークでした。

 しかし、老朽化などを理由に建て替えが決まったのです。

 「30年ぐらい前から来てます。夫とデートで食べに来たのも良い思い出になっています。ここが無くなるのが一番寂しいです」

 今から47年前の1976年、大阪・梅田に日本初の円形超高層ビルとして誕生した“マルビル”。

 「丸は円満に通じ、銭に通じる」という創業者の思いからこの形になったということです。

 高さ123メートルと、完成当時は大阪で最も高いビルでした。

 1980年代前半にはフロアを使ったファッションショーが行われたほか、ディスコブームの火付け役となった「マハラジャ」もマルビルに。バブルを象徴する場所でした。

 そして、マルビルのシンボルになっていたのが、屋上の「回る電光掲示板」。1985年の阪神タイガース日本一など、悲喜こもごも様々なニュースを伝えたほか、人生のドラマを演出することも。

 「(電光掲示板に)学生の頃に自分のメッセージを流せるのを、申し込んだら偶然当たって。その時に思いを抱いてた人にメッセージを見ていただきたくて、流した」
 (Qどんなメッセージを?)
 「ちょっとそれは(笑)」

 今は、電光掲示板も開業当初より随分と小さくなり、周りには高い建物が立ち並ぶように…。

 変わりゆく大阪の街や人々を見守ってきた大阪マルビルは、建て替えの道を選びました。

 マルビル開業当初から地下で営業するインド料理店「アショカ」、最後の日。

 「閉まる前に絶対食べたくて。1歳から通ってた。ナンを焼いてくれるから、このおしぼりでパタパタするのをまねして」

 『アショカ』大阪店のラム・キセン店長
 「47年間、その分のお客さんいるから。当然、寂しいですね」

 31日でテナントの営業は全て終わり、47年の歴史に幕を閉じます。

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