兵庫・明石市の泉房穂市長が退任 群を抜く実行力と暴言 光と影を織り交ぜ12年間の「泉劇場」終焉
政治家引退を表明し、28日、兵庫県の明石市役所を去る泉房穂市長。度重なる暴言問題で批判にさらされながらも、なぜ市民から信を得てきたのでしょうか。そして、泉氏の今後は。
泉市長「12年間、自分としては明石市民と街のために精一杯、 全身全霊をかけてやってきました。12年間やり切った思いです」
28日、長年勤めた市長室を後にした明石市の泉房穂市長。
泉市長「明石市民に対して市長として申し訳ない」(2019年2月)
「カチンときて言ってしまった」(2020年1月)
「(コロナ政策について)国を待つことなく、施策をする必要がある」(2020年12月)
3期12年。兵庫県の中核市である明石市から全国の注目を集め続けてきました。
明石市民「頑張ってくれたので感謝している」「泉市長がやっているから神戸から明石に引っ越してきたので寂しい」
市民から幅広く支持を集めたままの退任でした。
泉市長「政治家を引退したいと考えております」(明石市議会、昨年10月)
泉市長が、自らの政治家生命を追い込んだのは数々の"暴言"でした。
泉市長「立ち退きさせてこいお前らで。今日(ビルに)火をつけてこい。今日火をつけて捕まってこい。お前、燃やしてしまえ、ふざけんな!」(2017年6月)
国道の拡幅工事でビルの立ち退き交渉が遅れていたことを巡り、市の職員に発した発言が2019年に明らかになります。
泉市長「今回の私の行為は断じて許されない行為であり、それがいかなる動機から発したものであってたとしても、その動機によって行為が許されることにならない」(2019年2月)
ただ、市長を辞職した上で出直し選に出馬すると、有効投票数の7割以上を獲得する圧勝で、市長に返り咲きました。しかし昨年10月には…。
泉市長「お前ら選挙で落としたる」
泉市長「いわゆる長年にわたる積もり積もった怒りが爆発した。要はキレた、プチっと。キレたということです」
市議会議員らに発した暴言が再び明らかになり、政治家引退を表明。
それでも、泉氏が後継に指名した候補は自民・公明が推薦した候補にダブルスコアの差をつけて圧勝したのです。度重なる暴言にも関わらず、支持され続けた泉市長。背景には弱者に寄り添う姿勢がありました。
明石市の漁師の家に生まれた泉氏。4つ年下の弟に障害があったことから福祉に関心を持つようになったといいます。東京大学を卒業後、NHKのディレクターとなり、その後は政治家の秘書や弁護士を経て国会議員に。2011年に明石市長選で勝利すると、独自の政策を次々と打ち出していきました。
高校生までの医療費、中学生の給食費、第2子以降の保育料などの無料化を実現し、0歳から満1歳までは自宅におむつが無料で届くように。
明石市は"子育てしやすい街"として注目を集め、人口は泉氏が市長に就任した2年後から10年連続で増加。増えた税収をさらに政策に投入できる好循環が生まれたといいます。
さらに、殺人事件などの被害者が加害者に求める賠償金や、離婚した女性が受け取る養育費がなかなか受け取れていない実態をふまえ、市が立て替えたうえで代わりに回収する制度も確立。いずれも、厳しい立場にある人たちに対して、国の政策が追いついていない現状を補うものでした。
明石市民はー。
「(退任は)残念ですね。子育てに力を入れている市長だったので、もともと違う県の出身だったが、こちらに来て子育て政策が充実していたから助かっていたので、残念だと思う」
「いいところは子育て政策で人が増えたこと。駅前は以前老人ばかりだったけど、小さな子どもを乳母車に乗せた人が結構増えた。悪いところは“ワンマン”。人の意見を聞かないところかな」
そして今日ー。
泉市長「子どもを核とした街づくり、すべての子どもたちを町のみんなで本気で応援すれば、すべての市民が幸せになれるんだというのがベースですし、誰一人取り残さない、すべての人にやさしい明石を作るのが私の根幹部分で、大きな方向性はできた。こんな喜怒哀楽の激しいトラブルも多く、マスコミからも厳しい批判を受け続けている市長を、よくも明石市民は12年間応援いただいたのは明石市民に感謝しています」
今後については・・・
泉市長「率直な気持ちは、今ちょっとゆっくりしたい。しんどいですよ。ただ私のキャラクターなんで、ちょっとゆっくりしたいといっても1か月くらいかな。日本全国の子どもたちの応援団長になりたいと思っているので、全国行脚して子どもたちのために自分のエネルギーを使っていきたい」
(Q:(明石市長として)心残りは?)
「ありません、すっきりしています、ベストを尽くしました。悔いはありません、やりきった!」
群を抜く実行力と暴言。光と影を織り交ぜ、12年続いた「泉劇場」はこの日、終焉の時を迎えます。
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