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アントニオ猪木さん死去 元プロレスラー、政治家としても活躍(2022年10月1日)
プロレス全盛時代を築いたアントニオ猪木さんが亡くなりました。79歳でした。アントニオ猪木さんは、プロレスラーとしてだけではなく、政治家としても活躍しました。
1989年、スポーツ平和党を結党して参議院選挙の比例区から出馬し初当選。
翌年の1990年にイラクがクェートに侵攻し、日本人らを人質にした際、バクダッドを訪れ、要人らと会談を重ね人質の解放に尽力しました。
次の参議院選挙には出馬せず、政界を引退。
日本と北朝鮮との政府間協議が途絶えた2010年には、21回目とする北朝鮮への訪問を果たし「文化交流、スポーツ交流で話し合いの場ができればと思う」と述べていました。
その後、2013年には石原慎太郎氏と橋本徹氏が率いる日本維新の会から、参議院選挙の比例区で出馬することを表明し、「スポーツを通じて日本の平和を訴えてきたが最後にもう一つ、閉塞したなかで若い人たちに立ち上がってもらいたい」と述べ、再び国政の場に復帰しました。
当選直後に党の許可などを得ないまま北朝鮮を訪問し、批判を浴びましたが、その後も北朝鮮とは独自の外交を続けました。
第三極を狙った党へ所属を変えながら最後は無所属となり、2019年、体調不良などを理由に政界を引退しました。
政界でもトレードマークの赤のマフラーを身にまとい「元気があれば何でもできる」と発破を掛け続けていました。
[テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp/a>
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