【解説】エリザベス女王死去 “国のために全てを” 25歳で即位した女王が残したもの

【解説】エリザベス女王死去 “国のために全てを” 25歳で即位した女王が残したもの

【解説】エリザベス女王死去 “国のために全てを” 25歳で即位した女王が残したもの

8日、イギリス国民だけではなく、世界の多くの人々に愛されたエリザベス女王が死去しました。その生涯をささげ、女王が王室に残したものとは一体何か見ていきます。

「世界中で悼む声」
「25歳で女王に」
「日本も“お手本”に」

以上の3つのポイントについて、詳しく解説します。

■新国王はチャールズ3世 
今年6月、エリザベス女王の即位70年を記念した式典「プラチナ・ジュビリー」が行われました。96歳となったエリザベス女王が宮殿のバルコニーに姿を現すと、大歓声に包まれました。

この式典で、エリザベス女王は「私の心は皆さんと共にあります。これからも皆さんのために、最大限の努力をすることを約束します」とメッセージを発表しました。

そして、日本時間8日、女王の死去を受けて、新たに国王となったチャールズ3世は「家族全員にとって最大の悲しみの時」、「世界中の数え切れない人々にも、深い悲しみをもって、受け止められている」などと声明を出しました。

実際、世界中から女王の死を悼む声が相次いであがっています。アメリカ・ニューヨークで開かれた国連安全保障理事会では、各国の代表らが1分間の黙とうをささげました。

各国の首脳も、追悼の意を示しています。ウクライナ侵攻を巡り、イギリスと対立しているロシアのプーチン大統領も「女王は長年にわたり国民から愛され、尊敬され、さらに世界の舞台でも権威ある存在だった」とコメントしています。

■即位前から国民の信頼集めた女王
エリザベス女王は、どのような生涯を送ったのでしょうか。

女王が生まれたのは1926年で、日本ではちょうど大正から昭和に変わった年です。当時の国王ジョージ5世の二男・ヨーク公(のちのジョージ6世)の第1子として生まれました。当時の王位継承順位は3位だったということで、必ずしも「即位する者」という位置ではありませんでした。

ところが、1936年、おじいさんである国王・ジョージ5世が亡くなりました。跡を継いだ叔父・エドワード8世が1年足らずで退位し、父親のジョージ6世が国王に即位したことで、10歳で継承順位が1位となりました。

ここからの歩みは、「未来の女王」ということに変わっていくわけです。実は国民の信頼を集めたのは、実際に即位する前からなのです。
 
第2次世界大戦中、当時18歳の女王は自らの希望で軍に入隊しました。車両のメンテナンスなどの訓練を受け、運転したり、修理したりする映像も残っています。

21歳の誕生日の時には「私の人生すべてを国民にささげます」と述べました。21歳でこのような言葉は、なかなか出てきませんよね。

そして、この年、当時イギリスの海軍大尉だったエジンバラ公・フィリップ殿下と結婚しました。初恋の相手だったそうです。

さらに、今回、新国王となった長男・チャールズ皇太子を22歳の時に出産しました。その後、3人の子どもに恵まれ、孫・ひ孫は20人にのぼるということです。

1952年には、父の急死を受けて、25歳の若さで女王に即位しました。

■女王が目指した“開かれた王室” SNSも活用
即位後、女王が目指したものは、国民に親しまれる開かれた王室です。近年その象徴となっているのが、SNSです。ツイッター、フェイスブック、インスタグラム、ユーチューブを活用し、世界中の人が見ているということです。

イギリス王室に詳しい関東学院大学・君塚直隆教授によると、広報活動に力を入れ始めたのは、1997年のダイアナ元皇太子妃の死がきっかけだということです。

当時、国民の間では、「王室が不遇な死に追いやったのではないか」という思いや、「王室は何のためにあるのか」、「本当に必要なのか」という反発の声が高まったのです。これを受けて、「王室が国の内外で、いかに大きな役割を果たしているかについて、きちんと理解してもらうように」と、広報に力を入れ始めました。

特に、21世紀になって始めたSNSでの広報などを通じて、世界中の誰でも王室の情報に簡単に触れることができます。その結果、王室や女王への敬愛の大きさもどんどん大きくなったということです。

イギリス王室をお手本に、今では他の国の王室もSNSを展開し、力を注いでいます。イギリス王室からも多くを学んできた日本の皇室も、来年度から始めるかどうか検討しているということです。

■女王の人柄を象徴…そのエピソードとは?
エリザベス女王は、日本の皇室とも深く交流してきました。皇室ジャーナリストの久能靖さんに、「女王の人柄とイギリス王室のありようを象徴するエピソードについて聞きました。久能さんは1975年5月、女王が初めて日本を訪れた時のエピソードを真っ先にあげていました。

当時の日本では、交通機関の大規模なストライキのさなかでした。国賓の女王が新幹線で京都に向かうことができなくなるかもしれないという状況でした。さらにストライキで駅の周辺も大混乱でした。

政府が「どうしようか」と頭を抱えるその時、女王側から「ストライキを中止させるなどの特別な対応をとる必要はありません」と申し入れがありました。結果として、新幹線をやめて、飛行機に乗って、関西に向かったということです。

この女王の振る舞いについて、久能さんは「それぞれの国や社会には、それぞれの事情がある。それを自分の訪問で崩したくないお気持ちの表れ」と話し、非常に強く印象に残っているそうです。

さらに、組合の活動や労働者の権利は、民主主義社会において最大限尊重されるべきことだということを女王が深く理解していた証しでもあるわけです。久能さんは「まさに立憲君主制の王のあり方。そのお手本を体現しておられた」と振り返っています。

     ◇

波乱の時代、向かい風の時もあったエリザベス女王の生涯。国民に寄り添い、国のためにすべてをささげるという思いと行動が、多くの人々からの敬愛につながりました。
(2022年9月9日放送「news every.」より)

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