【貴重動画】関東大震災の映像がなぜテレ朝に? 西本願寺が撮影班派遣 スピード上映も(2022年9月1日)

【貴重動画】関東大震災の映像がなぜテレ朝に? 西本願寺が撮影班派遣 スピード上映も(2022年9月1日)

【貴重動画】関東大震災の映像がなぜテレ朝に? 西本願寺が撮影班派遣 スピード上映も(2022年9月1日)

1923年9月1日に発生した「関東大震災」直後の東京を撮影したフィルム。
テレビ朝日の報道ライブラリーに残る、最も古い映像です。
どのように撮影され、どんな経緯で残されたのでしょうか。

テレビ朝日の記録では、東京・中央区にある「築地本願寺の改装による一斉処分で捨てられていた35mmフィルムを会社員が拾い、保管していた。1984年にテレビ朝日に持ち込まれ、復元した」と記されています。

この貴重な映像を公開するため、築地本願寺を取材したところほぼ同じ映像が、本願寺にもあったことが分かりました。

築地本願寺のフィルムを見つけて復元した中央区教育委員会の学芸員、増山さんは、テレビ朝日が映像を確認した結果、重要なものだと判明したため、築地本願寺に返却した、と考えています。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「テレビ朝日さんの方では、一応デュープフィルム、複製を作られて、貴重なフィルムだということで、本願寺さんに戻されたと。そこからさらに何十年か経って、発見したのが中央区教育委員会であったと」

増山さんが築地本願寺で発見した時、フィルムは危機的な状態だったといいます。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「今から20数年前、ちょうど2000年くらいになります。古文書の調査、記録の調査ということで、本願寺さんの保管庫に依頼を受けて入った。ナイトレートフィルム、いわゆる可燃性のフィルムであったが故に、そのフィルムの状態がかなり劣化しておりまして、粘着性もあり固着もしていて、かつ変色も相当しておりました。さらに言えば異臭がしておりましたので」

使われていたのは1934年に富士フイルムが国産を出す前のゲバルト、アグファといった輸入フィルムでした。自然発火する恐れがある消防法の「危険物」に該当するものだったことから、すぐに複製します。
中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「スチル、つまり止まった映像で災害の状況は見たことがあるんですけど、動画で、人の表情、人の動き、火災の動き、地震で倒壊した建物の状況というのが、動きを伴ってみるということがこれほどまでに強烈に響いてくるものかというのが、その映像を見た瞬間に思いましたね」

増山さんは動画の詳細な分析を進め、防災ビデオにもまとめます。

関東大震災直後の本願寺の活動を記録した文書、「関東大震災 大火災 本願寺救護部記録」。ここに、この動画の撮影の経緯が記されていました。
地震の翌日、9月2日に京都の本願寺本山に関東で大災害が発生した知らせが届くと、すぐに救護活動が始まります。撮影班の派遣も早速、指示されました。

築地本願寺 東森尚人副宗務長:
「当時、多くの方にお支え頂きましたり、ご寄付をお寄せいただきましたり、財政的な面でも規模が大きかったということはあるかと思います。最先端の技術である『映像を残すという技術』も柔軟に取り入れて、活動の記録、また震災の状況を記録しようと、多くの方に知っていただこうということがあられたんだと思います」

ここでひとつ疑問が出てきます。
この動画には、京都から派遣された撮影班が撮った映像なら、間に合っていないはずの震災発生直後の映像が収められているのです。

関東大震災の映像を研究し、これまでに12本の動画があることを確認している増山さんは、こう説明します。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「現時点で残っているもの(映像)を分析すると、似たようなカットが多いなと。使いまわしたというか、おそらく災害の状況を編集して使ったんではないかなと思われます」

本願寺の機関誌「教海一瀾」に「苦労して9月8日に、映像を購入した」という記録が残っていました。購入映像と撮影した映像を編集し、布教を兼ねた上映会が行われたのです。

元 本願寺史料研究所の辻岡健志さんは、かなりスピード感があった事業だったと指摘します。

元 本願寺史料研究所 歴史研究者 辻岡健志さん:
「9月8日に震災被災状況を撮影したフィルムを西本願寺で購入できたと。すぐに9日夜、西本願寺本山の門前においてこのフィルムの実写を行った。その後『映画布教班』が西本願寺で組織され、9月11日から23日にかけて近畿 中国 九州地方の西本願寺の優勢な地域にあたりますけれども、そこで上映した」

各地の寺や神社の境内や、市役所前の広場で催された上映会には大勢の人が詰めかけました。それぞれの会場で数千人から3万人を動員し、人が一度で入りきらず、2回上映したところもあったということです。
小学校の校庭に9000人を集めた広島県尾道の様子は「溢れんばかりの群衆は災害の東京に涙を絞りつつ、熱心に凝視しつつあり」と記されています。
13日間で23都市をめぐり、少なくとも23万人以上に見られました。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「当時は動画を見る機会はそうは多くなかった」「人々が生きている様子、動いている様子、表情まで見て取れる。自分のことのように感じられるような動画、このインパクトは非常に大きかったと思いますので、それを関東から離れた遠いところで御覧になった方も、なんとすさまじい状況下というのが、自分のことのように思われたんではないかな、と思うんですね」

当時としては珍しい速報性がある動画の上映は義援金を集めることにもつながりました。10月には4班に増やし、全国を巡回しました。

現存するほかの動画とこの映像が違う唯一無二の特徴は、リアリティ溢れる本願寺による救護活動の部分だといいます。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「浄土真宗としての布教という活動も併せ持っていた。救護活動、様々な活動を行っておりますので、それが映像の中にもたくさん映っています」

文書では知られていた救護活動の実際の様子が映像で見られるのです。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「『●●して差し上げます』というのがたくさん出てきて、つまり困っている方たちに何が必要なのかということ、その札を見ても今、何が必要なのかということが映像の中に映っておりますので、非常によくわかるかなと思います」

さらに、災害そのものだけでなく、人に焦点を当てて撮影しているところも大きな特徴だと指摘します。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「何か建物が倒壊している火災が起こっているというだけではなくて、人々がどんな風に動いているのか、どんな表情をしているのか、何を持っているのか、どんな風に集まってらっしゃるのかとか。表情というのか感情的な部分というのでしょうか、うったえかけるような部分が非常によく見てとれると思います」

誰が撮影したかについては、分かっていませんがシーンを細かく分析した増山さんは本願寺に依頼されたプロの仕事だと考えています。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「僧侶が撮ったとは思えないようなカットなんですね。恐らくプロのカメラマンが同行しながら撮影していったんであろうと思われるような丁寧なカメラワークが見えてくるんです。撮影した方は命がけも含めて、これを何とか撮影してその惨状を、人々の苦しんでいる状況を残していくんだという、おそらく使命を帯びて撮られたんだと思うんですね。この動画フィルムが非常に私たちに訴えかける、雄弁に訴えかけるような大変貴重なフィルムであるということは、分析した私のみならず、見ていただければすぐにわかるような内容になっていると思うんですね」

様々な経緯を経て、この貴重な映像は現在、複数のフィルムやデータが保存されています。

中央区教育委員会学芸員 増山一成さん:
「現時点で、中央区教育委員会の方にネガフィルム、ポジフィルムが存在しておりますし、本願寺さんにもそのデジタルデータがございます。さらにはテレビ朝日さんの方にも発見当時のフィルムを複製した時のデジタルフィルムというものが残っているということで、三者それぞれにフィルムを持っている、この動画を持っているというような経緯になります」

100年前に撮影された映像を受け継ぐ築地本願寺も
これを後世に伝えていきたいと考えています。

築地本願寺 東森尚人副宗務長:
「映像を残していただいていたということは、撮影をされた方もそうですし、これを大切に今日まで伝えていただいた先人の方々が教訓とするようおに、ということであったかと思います」「次の世代の方にこの映像というものをしっかり伝えていかなくてはいけませんし、それを通して防災意識というものも忘れずに過ごさなくてはいけないというふうに思います」
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#関東大震災 #防災の日 #築地本願寺/a>

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