【つらい】幼少期に「ポケモン」を買ってもらえなかった早稲田卒会社員の、タワマンに住んでも癒されない虚しさ
幼少期にポケモンを買ってもらえなかった早稲田卒アラフォー会社員の、タワマンに住んでも癒されない虚しさとは?
チャイムの音と共に騒がしくなる教室で、目を輝かせる友人達。小学校の話題の中心はいつもポケモンだった。僕は一人、いつも下を向いていた。ウチにはゲームボーイも、スーファミもなかった。
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みんな、放課後は通信ケーブルを持っている田中君の家に集まり、通信対戦に夢中だった。
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通信対戦で盛り上がる友人達のそばで一人、本棚の古いコロコロを読んでいた。涙をこらえるのに必死だった。
お小遣いを貯めて、ポケモンの攻略本を買った。隅から隅までボロボロになるまで読み込んだ。技マシンの番号と技名を全部覚えた。全ポケモンの進化パターンもそらんじた。でも、そこには僕が動かせるピカチュウもミュウツーもいない。むしろ虚しくなるだけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
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※月日が経ち、著者が大人になり↓
「うわ、バイオレットだ! やったー! パパ、ありがとう!」。朝、リビングでAmazonの箱を開けて大はしゃぎの息子。「誕生日でもクリスマスでもないのに。まだサピックスの宿題も終わってないのよ」としかめっ面の妻。これは息子のためでなく、僕の傷を癒すための儀式なんだと言っても理解してもらえないだろう。
「そういやα1のケンタ君、家にSwitchないんだよ。ママが厳しいんだって。可哀想だよね」。息子の何気ない一言に、鼓動が速まる。
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深夜、家族が寝静まったタワマン低層階のリビングで一人、Switchの電源を入れる。ニャオハがマスカーニャまで進化しても、チャンピオンロードでオモダカを倒しても、驚きや喜びを共有できる友人はどこにもいない。プレミアムモルツを一口飲む。僕が本当に欲しかったものは、もう二度と手に入らない。
子供の頃の共通の話題は大事
90年代に幼少期を過ごした者があの頃のテレ東アニメを観られないことがどれだけ辛かったか……。
子どもの頃から虚しい思いを心にしまい込んで過ごしながら、早稲田行って、タワマンに住んで、結婚して、子どもまで育てて、ちゃんと仕事してるの偉いなぁと思った。
ただ、この方は我慢した分多くのものを手に入れられたから、いい生き方でもある。
ポケモンやらせてもらえないとか虐待やぞ
探したら意外とやってない人いたんだろうな
小中学校の時はゲームは1日30分
高校で自室でゲーム解放されて狂ったようにゲームをやって今じゃ昼間からBBSをやるニートになってしまった
いや、これ最後に「今では息子とバトルしてレイドして失ったあの頃を取り戻してるぜ! ポケモンサイコー!!」ってオチで良かったじゃん
何をやっても過去はもう戻ってこないからな