【話題】少年ジャンプ1968年の創刊号、記念すべき8つの作品がこれwwwww【マンガ】
集英社が刊行する「週刊少年ジャンプ」といえば、現在も連載中の『ONE PIECE』を筆頭に、これまでに『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』『鬼滅の刃』『銀魂』などの傑作を世に送り出してきた、日本漫画史を語る上で欠かせない雑誌である。
『ハレンチ学園』ではPTAを巻き込んだ大論争が巻き起こったと思えば、反戦漫画の名作である『はだしのゲン』もジャンプの連載作品であったなど、掲載されている漫画が多種多様なのもジャンプらしい特徴である。
さて、そんなジャンプだが、創刊されたのは、1959年に創刊された「マガジン」「サンデー」よりもずっと後で、1968年のことである。しかもこの頃は「週刊」ではなく、1ヶ月に2回のペースで刊行される雑誌だった。ジャンプが軌道に乗って週刊になるのは翌年1969年のことだ。創刊号にはいったいどのような漫画が掲載されていたのだろうか。あまり知られていない。ラインナップは以下のとおりである。
『くじら大吾』梅本さちお
『大暴れアパッチ君』赤塚不二夫
『地獄剣』高野よしてる
『父の魂』貝塚ひろし
『ハレンチ学園』永井豪
『ドル野郎』望月三起也
『フラッシュ・ゴードン』ダン・バリー
『手』楳図かずお
全8作品で、赤塚、永井、楳図を筆頭に今でこそ著名な作家が多いが、手塚治虫クラスのベテラン勢が少ない印象を受ける。それは事実で、ジャンプは後発だったため、人気のある漫画家に連載を依頼することができなかったのだ。
そんな創刊号の目玉作品だったのが、梅本さちおの『くじら大吾』である。主人公は孤児として成長した大吾で、巨大な体を武器に夜間中学の仲間たちとともに共闘する物語だ。絵柄も内容も、いかにも1960年代の少年漫画といった感じである。実は「ジャンプ」の創刊号はほとんど読切で占められていたため、『くじら大吾』は実質的に最初期の連載作品と言っていい。
表紙にも主人公の全身が描かれ、「おお、けたはずれにおもしろい‥‥新人No1漫画家のNo1漫画」とキャッチコピーが掲げられていたことからもわかるように、編集部一押しの若手作家だったことがわかる。梅本は1943年の生まれなので、連載開始当時は25歳。ちばてつやのアシスタントを経て連載作家となった若手であった。
しかし、『くじら大吾』はあまり読者に支持されることがなく、その後は有名なジャンプの専属契約を断ってジャンプを去った。『くじら大吾』は集英社からではなく他社から単行本が出ているが、雑誌の出版社から単行本が出ないこと自体は、当時としては珍しいことではなかった。
こうして、新人作家が中心の雑誌としてスタートしたジャンプは、当初は苦戦を強いられた。しかし、この悪戦苦闘を経てジャンプが新人の発掘に力を入れるようになり、編集者と新人漫画家が二人三脚で作品を生み出すジャンプのヒット方程式へと結びついたのである。
もし、ジャンプが創刊号から手塚治虫などの大御所に依頼できていたら、どうだっただろうか。ひょっとすると『ドラゴンボール』などの大ヒット作は生まれなかったのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e5eedf02f5f91e8306082dfcae71030cbc40eab